霊山・身延山を歩く ~ 静寂の森で思索の山行 ~
- 24 時間前
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3/12(木)は身延山へ。
身延山は、山梨県身延町にある、日蓮宗の総本山・久遠寺がある霊山で、開祖である日蓮上人が晩年を過ごした場所です。
山頂には、奥之院思親閣があり、その名の通り、日蓮上人が故郷をしのんで両親を思った場でもあるそうです。


実は、先月2月にもこの山を下見しましたが、下山後に、どうしても気になることがあったため、2度目の下見となりました。
登山ガイドとしての矜持、と言えるのかもしれません。
この日は平日ということもあり、境内にも行きかう人はまばらで、登山道に至っては、終始、誰一人とすれ違うことはありませんでした。
そのためか、また、この山が霊山であるが故か、一人で歩いていると、自然と物思いに耽っていくのを実感した今回の山行でした。
とても急峻な登山道を、一歩一歩、足裏の感覚を確かめるように、まるで、自分が生きているという実感を確かめるかのごとく、歩みを進めていきます。

登山開始前から特に決めていた訳でもありませんが、なぜか、
・水を欲しても山頂までは我慢する
・山頂までは一切休憩を取らずにひたすら歩く
という、ストイックな目標を、いつの間にか、自分の心に抱いたのでした。
下山途中、先月訪れたばかりのまだ新鮮な記憶が、でも、どこか懐かしさのあるような記憶が、所々でよみがえります。
今回の再訪には、もう一つの目的がありました。
この山が希少な鳥『ブッポウソウ』の繁殖地だと知ったからです。

後で分かったことですが、彼らは渡り鳥で、この地に姿を現すのは5月以降だといいます。

さらにその名も、別の鳥の声を聞き間違えたことから名付けられたという、不思議な歴史を持っていました。
今はまだ、ここにいない。
私は一人、静かな森の奥へと足を進めました。
姿は見えずとも、そこに『いる』と信じるだけで、救われる心がある。
急峻な登山道に喘ぐ私にとって、その確信は、山頂で喉を潤す一口の水と同じくらい、確実に心を支えてくれるものでした。
目当ての鳥には会えなかったけれど、代わりに私は、目には見えない大切なものの輪郭を、この霊山で手に入れた気がします...


























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